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鶏鉾の胴掛 花のいえの歴史ブログ
2013/7/18

平成25年7月18日  第7号

今回は、第6号の続きです。

7月17日。祇園祭山鉾巡行の9番目を行く鶏鉾(にわとりぼこ)の胴掛(どうがけ)を、しっかり見てきました。右、左のどりらの胴掛にも海を行く御朱印船が描かれています。進行方向に向かって左側の胴掛には、船に「末次」の文字の入った旗が風にたなびいています。進行方向に向かって右側の胴掛には「角」の文字の入った旗が、たなびいています。

豊臣秀吉は、文禄元年(1592年)に、8人の豪商に朱印状を与えます。その8人の中に、長崎の末次平蔵、京都の角倉与一(角倉了以の息子素庵のこと。)がいます。

 

1627年(寛永4年)に、角倉素庵は、二男の厳昭に、大堰川舟運管理や、安南国(今のベトナム)回易大使司を譲ります。

清水寺に角倉船の絵馬を奉納するのが、1634年(寛永11年)で、その2年後の1636年(寛永13年)には、鎖国令が出され、安南国との貿易も終わりを告げます。

鶏鉾の由縁は、中国堯(ぎょう)の時代に、天下がよく治まり訴訟用の太鼓も用がなくなり、鶏が巣を作ったという故事によるとのことで、鶏鉾と角倉船とのつながりを、巡行の後、鉾町に行ってお尋ねをしましたが、よくわかりませんでした。しかし、お兄さんのお話では、鶏鉾の真木(しんぎ)には、航海の神といわれる住吉明神を祀っていることや、鉾の音頭取が曳手に合図を送る扇子の所作は、船が風を受けて進むようにと、風を送る所作を表しているのだとお話をしてくださいました。角倉船と鶏鉾のつながりは、わかりませんでしたが、航海とのつながりがあるというのは、わかりました。

 

 


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