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京都産業大学日本文化研究所報「あふひAOI」第21号掲載原稿 花のいえの歴史ブログ
2015/12/30

平成27年12月30日 第11号
京都産業大学日本文化研究所報「あふひ AOI」第21号(平成27年12月31日印刷発行)に特別客員研究員としての私の活動記録が掲載されましたので、ご紹介します。これまで掲載してきました内容と重複しますが、花のいえの歴史を簡単にまとめておりますので、ご一読いただければ幸いです。支配人 伏井安信

「角倉了以邸址である花のいえの歴史のブラッシュアップ」
京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町9番地に所在する公立学校共済組合嵐山保養所「花のいえ」(以下、「花のいえ」)は、江戸時代初期の慶長11年(1606年)に、保津川を開削した角倉了以の舟番所兼邸址として有名です。
この場所は、保津川にかかる舟運等の諸権利も含めて、角倉了以から息子の素庵へ、さらに寛永4年(1627年)に角倉素庵の次男角倉厳昭(すみのくらげんしょう、かねあきともいう)へと家督が相続されます。こうして角倉厳昭から始まる嵯峨角倉家は、代々この特権を維持して明治を迎えます。この流れの末端に花のいえが存在します。
私は、平成24年4月に花のいえの支配人に就任し、花のいえの所有者が明治以降どう変遷し今日に至ったのか、また、旅館業を誰がいつ頃から営んだのかを調べてきました。花のいえをご利用されるお客様に、花のいえの歴史をしっかり応えられるようにすると共に、花のいえの歴史の記録を次代に残しておきたいと思いました。そして、研究成果を花のいえのホームページに掲載してきました。今回このような機会をいただき、その解明にさらにブラッシュアップを図っていきたいというのが、研究の趣旨です。
明治維新の混乱を乗り越えた嵯峨角倉家の最後の当主角倉玄遠(すみのくらげんえん、はるとおともいう)氏は、明治22年(1889年)12月まで花のいえを所有。これを三代目京都府知事北垣国道氏が、まさに知事現職の時代に購入します。ここを別宅として使っていたのは短い期間のように思います。明治29年(1896年)に有吉三七氏が京都府葛野郡長(かどのぐんちょう)に就任し、北垣国道氏から「お化け屋敷に住む勇気があるならタダで貸してやる。」と言われ「なにを、ならば住んでやる。」ということで、ここに住まわれます。大正6年(1917年)1月に北垣国道氏が亡くなると、ここを出られ、息子有吉忠一氏の住む渋谷区に移ります。北垣国道氏と有吉三七氏は、共に尊王攘夷を戦い、敵味方の関係にありましたが、2人のお墓は、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の塔頭栄摂院(えいしょういん)にあります。2人のとても深いつながりを思わずにはおれません。有吉三七氏は、約22年間花のいえに住まわれたことになります。
大正6年(1917年)9月には、北垣国道氏の息子北垣確(きたがきかたし)氏から、京都の実業家山田茂助(やまだもすけ)氏に所有権が移ります。山田茂助氏から息子の就将氏、さらにお孫さんの進一氏へと家督が相続され、その後昭和22年(1947年)に安井善七氏が所有し、料亭「花乃家(はなのや)」の営業を開始します。安井善七氏が料亭「花乃家」の営業を始めたのも、十分営業が成り立つという目論見があったと推測します。
しかし、安井善七氏が所有して4年後に売りに出され、昭和26年(1951年)4月に公立学校共済組合が取得することになり、今日に至ります。公立学校共済組合が取得することになった背景は、当時は結核に罹患した組合員が多く、転地療養や治癒後の保養をするための施設が必要であったからです。花のいえは、「花乃家」の名称の一部を変更して使うことになります。
公立学校共済組合が取得するのは、商売をするというよりも、教職員の福利厚生面から必要でした。
今回の調査で、大まかな明治以降の花のいえの歴史を1本の線でつなぐことができたわけですが、まだまだ空白を埋めなければならないことが多々あります。今後も、維新後の嵯峨角倉家の動きや花のいえにかかわった人々を追及して、ブラッシュアップをしてまいりたいと思っております。研究成果の詳細は、花のいえのホームページ歴史ブログを見ていただければ幸いです。この歴史ブログもさらに見直していく予定です。
(参考文献)
林屋辰三郎『角倉素庵』(朝日新聞社、1978)、寺尾宏二「維新後の角倉家について」(『経済経営論叢』13-1、京都産業大学経済経営学会、」1978)、『嵯峨誌 平成版』((財)嵯峨教育振興会、1998)、秋田博『海の昭和史』(日本経済新聞社、2004)、『公立学校共済組合50年史』(公立学校共済組合、2013)


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住所:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町9

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角倉了以邸趾にある私どもの施設。嵯峨の地に約400年もの歳月を経て現存します建物・庭園をご覧いただき、また違った旅情も味わっていただければ幸いです。

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