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花のいえの唐門前に建つ石碑 花のいえの歴史ブログ
2015/6/30

平成27年6月30日 第9号

花のいえの入口は、三条通に面しています。玄関の門は、古風でりっぱな唐門(からもん)です。唐門をくぐって中に入ろうとするとき、三条通と唐門の間に、高さ1m50㎝、奥行20㎝、幅23㎝の石碑があります。気を付けていないと通り過ぎてしまいます。この石碑は花のいえの敷地内に建っています。今回は、この石碑の話をしたいと思います。

この石碑は、花のいえが設置したものではなく、また、京都市や京都府が設置したものでもありません。

この石碑の表には、「此附近 桓武天皇直営角倉址  了以翁邸址  平安初期鋳銭司址」とあり、裏面には「昭和四年三月稟京都府三宅保兵衛遺志建之」とあります。

この石碑には3つのことが書かれています。この付近には①桓武天皇の直営の倉庫があったんですよ。②角倉了以の屋敷跡ですよ。③平安初期には、貨幣の鋳銭所(ちゅうぜんしょ)があったんですよ。「稟」とは「謹んで申し上げます」という意味です。

この石碑の三宅安兵衛(1842~1920)は、福井県小浜に生まれ、京都に出てきて西陣帯で財をなします。亡くなる直前に、息子の清次郎に、「京都にはお世話になった。この一万円を、世の中のために使ってくれ。何に使うかは、お前が決めろ。」。そう遺言をして亡くなります。清次郎は何に使うかを考えます。そういえば父は晩年、よく京都近辺を旅行したが、神社やお寺、旧跡に案内板がもっとあればいいのにと言っていたことを思い出し、京都を中心に石碑を建てて歩くのです。三宅安兵衛の一万円は、今の五千万円ぐらいといわれています。さらに清次郎は、自分も一万円を出し、今の額にして合計約一億円をその石碑建立に投入します。設置期間は大正10年から昭和5年までの10年にわたります。

清次郎の残した「木の下蔭」という記録には、設置場所数は343か所ありますが、正確な設置場所が明記されていないのです。ほかにも設置され、合計400か所ほど設置されたといいますが、「木の下蔭」には、「その他これを略す。」と、どこに設置されたかは記載がありません。今は、その発見は偶然に期待するしかないとこのとです。今もその石碑を探しておられる団体があります。

花のいえの碑は、「230番 角倉の碑」に当たります。

桓武天皇の直営の倉庫とは何か。桓武天皇は784年に平城京から長岡京に遷都し、10年後の794年に平安京に遷都します。平安京は今の京都市右京区の双ヶ岡(JR山陰線の花園駅付近)が都の西の端ですから、ここ嵯峨は平安時代から離宮が営まれたところです。ここに桓武天皇が自ら管理する直営の倉庫があった、食糧の倉庫でしょうか、武器庫でしょうか。わかりません。

さらに鋳銭司があった。銅貨を鋳造する役所があったというものの、この付近で銅が発掘されたという記録もなく、専門書によると、このあたりに貨幣の鋳造所があって、その役割は、銅の含有率を下げて貨幣を改鋳する(改悪となるのでしょうか。)役所があったということです。最初に鋳造した貨幣は、付近の神社に奉納したようで、渡月橋を渡ったとことにある櫟谷宗像(いちのたにむなかた)神社にも奉納された記録が残されていたのです。だから奉納された複数の神社から計算して、中心地がこのあたりになるということのようです。


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住所:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町9

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