ご挨拶 MESSAGE
第一章
角倉了以邸
この”花のいえ”は大堰川 (現「保津川」)疎通や「朱印船貿易」で有名な京都の豪商「角倉了以」の当時いくつかあった邸宅の一つです。
ご宿泊いただいている建物は鉄筋コンクリート造の2階建てに変わっておりますが、私どもで「ごてんの間」と言っております「關鳩楼」は当時の姿を今に伝えております。
嵯峨出身の了以はこの地にあった邸宅を本拠に息子の「角倉素庵」(1571-1632)と共に何度も現地調査をし、「保津川疎通」の計画を立て「徳川幕府」の許可を得て慶長11年(1606年)に難工事の末、開疎にこぎつけています。
従ってこの「ごてんの間」は、約400年もの長きにわたり風雪に耐え、 今日まだその威厳を保ちながら、日々皆様をお迎えしております。
私どもは、その維持・管理に細心の注意を払いながら、一人でも多くの方々に利用していただきたく、ご宿泊のお客様の ”朝食堂”として、また「ご宴会」や「俳句の会」、「古希」や「米寿」のお祝い、あるいは「法事」等の祭事にもご利用いただいております。(ご利用については当所で調整いたします。)
建物は栗材が多く使われており、天井と畳、窓ガラス等は現代のものを使用しておりますが、他は当時の姿を保っております。
なお、「關鳩楼」の篇額は息子「素庵」の友人で江戸時代初期の儒学者として有名な「林羅山」(1583-1657)の書でございます。
第二章
花のいえに今も残る文化財や巨樹
長澤蘆雪 筆 紙本墨画張旭揮毫図(襖絵四面)
長澤蘆雪(1754~99)は、円山応挙について絵を学び、ウィットに富んだ大胆な構図、奔放かつ自在な筆さばきは時に応挙を凌ぐと評価されるほどです。 本図は杜甫の「飲中八仙歌」の内の張旭を描いているもので、李白を除いて、飲中八仙の一人だけを描く作品は珍しいと言われています。 制作年は落款などから蘆雪晩年の寛政(1789~1801)後期とみられています。
平成20年に京都市の調査を受け、21年4月1日に有形文化財の指定を受けています。
平成23年に京都市文化財補助事業により補修を行い、現在、保存のために京都国立博物館に寄託しています。
雪見灯籠-「ごてんの間」東南の窓際の棚に展示-
辻与次郎(生没年不祥、近江国の出身)
千利休の釜師で、豊臣秀吉から「天下一」の称号を与えられた「茶の湯釜」制作の第一人者の作で、釜の部分には《天正元年(1572年)与次郎作》の銘があります。
”灯籠”・”鰐口”・”梵鐘”等が残されておりますが、在銘の作で最も古いのが、天王5年銘の京都本能寺小学校にある「鉄水鉢」と言われていますが、当所のものは、それより4年古い在銘の作と言えます。
杉の一枚戸-「ごてんの間」上がり口板戸-
一枚物の杉板に描かれた「花鳥図」は狩野派の作(作者及び制作年代不祥)と言われています。
彩色薄れていますが、じっくり見ていただくときっとその良さが解っていただけると思います。
中庭園-「ごてんの間」北側・枯山水庭園-
小堀遠州(1579~1647) 作と言われています。江戸時代初期の茶人で早くから「古田織部」の門に学び、秀吉の小姓から、のち家康に仕え、1608年遠江守に任ぜられてから「遠州」と号し、遠州流の祖とされています。
建築・造庭に、特異な才能を発揮し、”遠州好”として現存する庭園も多くあり、のちに、将軍家茶道指南となっています。
中庭園はほとんど手を加えておりませんので、当時の面影を色濃く残していると思います。また、庭園中央にあります”さるすべり”の木は樹齢200年に達しているのではと推測されています。
8月から9月にかけてきれいな花を咲かせます。
切支丹灯籠-中庭園内及び茶室横-
”織部灯籠””織部好”とも言われています。
古田織部( 1544~1615)は安土・桃山時代の茶人で「千利休」の高弟として信長・秀吉に仕え、のち徳川二代将軍「秀忠」の茶道指南となっています。茶器で「織部焼」があります。
”切支丹(キリシタン)” 迫害の歴史を秘めて、今も中庭園と表庭・茶室横に建っています。また、下部にある人型は「マリアの像」ではないかと言われています。
無患子(ムクロジ)-表庭園・茶室西横の巨樹-
文章一部変更予定) 樹種=ムクロジ(ムクロジ科)、樹齢推定300年 「京都市景勝地植樹対策委員会」が昭和48年4月から平成元年11月までに行った京都市の”巨樹・名木”の調査で、総数234本が判明していますが、そのうち「223.角倉了以旧邸の無患子」として記載され、大堰川(現保津川・桂川 )沿岸の旧植生の一部と見られています。
巨樹ゆえに電線に影響を与えるということで、枝が切断されていますが、このムクロジの実は昔から羽子板遊びの羽根の重りに使われてきました。
表庭園・茶室の西横にそびえています。
第三章
館内に掲示の作品(絵画・書等)
臈纈染「童女の図」-ロビーに掲額-
佐野猛夫氏(京都創作染色界の重鎮、京都市立芸術大学名誉教授、京都市文化功労者、京都府美術工芸功労者。 平成7年10月2日81才で逝去。)
氏が昭和21年、(日展)復活の年に出品し、「特選」を得た作品で、同氏の初期の代表作であります。
平成10年3月3日から4月5日まで京都市美術館で開催された(京都の美術一昨日・きょう・明日22) [佐野猛夫遺作展〕に展示されました。
壁画「奥嵯峨の秋」-ロビー正面-
丹生青苑氏(大分県宇佐郡安心院町、暦程美術グループ会員。平成15年89才で逝去。)
氏が昭和45年7月の施設新築時に約1か月にわたりコンクリート壁に直接描いた、「祇王寺」をモデルにした油絵です。